2011年7月27日(水)、28日(木)に
大正大学 巣鴨キャンパス
において、ウーリア・エンゲストローム(Yrjö Engeström)氏らを招いて『ワークショップ:状況活動研究の最前線』が行なわれた。ISCAR-ASIA & DEE共同企画ワークショップ、
後援:日本教育心理学会。
私は、7月27日のみ参加した。
私自身が発表した7月27日のセッション1のプログラムは以下のようなものだった。
セッション1 野火的活動:今後の状況活動研究の焦点
企画:ISCAR Asia
登壇者:上野直樹(東京都市大学)
ウーリア・エンゲストローム(ヘルシンキ大学)
茂呂雄二(筑波大学)
杉万俊夫(京都大学)
ここでは、とりあえず、27日のセッション1で発表、議論されたことの概要を、今後、何回かに分けて紹介する。今回は、まず、「野火的活動」ということの意味や由来、背景、および、各登壇者の発表内容の簡単な概略のみをまとめてみた。
野火的な活動とその背景
現代は、エンゲストローム氏によれば、野火的な活動(wildfire activities)が拡大している時代である。野火的な活動とは、分散的でローカルな活動やコミュニティが、野火のように、同時に至る所に形成され、ひろがり、相互につながって行くといった現象をさしている。こうした活動のつながりは、ポストモダンの概念を使うなら、竹の地下茎のように、あるいは、樹木の根と菌類の共生形態のように複雑に、かつ、多様に絡み合ったリゾーム的な形状を取っている。リゾームという概念の出所であるポストモダン思想は、すっかりトレンドではなくなったが、時代状況はますますポストモダン化している。(仲正, 2006)
こうした野火的な活動の中で、人々は特定のコミュニティの中に生き、活動を行うだけではなく、様々な場所、コミュニティの間を移動しながら、新たな活動を生み出している。
野火的な活動は、WikipediaやLinuxといった例に見られるように、制度的な組織や地域コミュニティを超えて多くの人々が協調して何かを生み出すピアプロダクション(peer production, Tapscott & Williams, 2007)という形で行われている。しかし、野火的な活動は、インターネットに限定されるものではなく、例えば、赤十字、スケートボーディング ( Engeström, 2009)や地域における街づくりのための市民活動、震災時の市民による連携活動といったものの中にも見いだすことができる。
こうした活動は、行政組織、企業、学校といった制度的な組織や個々のコミュニティの枠を超えてひろがり、また、商品経済の枠組みでは収まりきらない労働や知識の交換形態を持っている。
現代社会における野火的な活動の拡がりは、改めて、学習、人工物、資源の布置、アーキテクチャといったものの捉え直しを迫っている。また、活動論や状況論にとって、野火的な活動を支える様々なアレンジメントをどう行うべきかということが新たな課題として浮かび上がって来ている。
野火的な活動をどのように見て行くべきか
個々の制度的組織やコミュニティを超えた活動を考えるとき、これまでよく使われて来たのは、人々の関係や繋がりに着目し、社会的ネットワークとして見て行くというものであった。社会的ネットワークという見方の最も素朴な形態は、人々の繋がりをネットワーク図で表現するというものである。例えば,SNSであるMixiにおける人々の繋がりをネットワーク図で表現したmixigraphはその一つの典型例である。あるいは、グラノヴェター(Granovetter, 1973)の「弱い紐帯の強さ」という論文では、人々は、新しい仕事や知識を、家族や親友といった日常的に密接な繋がり(強い紐帯)よりも、大学時代の古い友人、かっての同僚や雇い主などの緩やかな繋がり(弱い紐帯)で得ることが指摘されている。
野火的な活動も、また、以上の例と同じように、社会的ネットワークとしてある程度は図式化でき、また、「弱い紐帯の強さ」として整理することも可能であろう。しかし、社会的ネットワークという見方は、野火的な活動に関して、これ以上、考察を進めるために手がかりを与えない。
例えば、mixigraphのようなネットワーク図を見ても、誰と誰が繋がっているかを知ることはできるが、それ以上の情報は得られない。また、個々のコミュニティを超えた「弱い紐帯」という場合、どのように、どのような条件かで弱い紐帯が形成されるのか、古い友人、同僚といったこと以上の手がかりを得ることはできない。
このようにして、野火的な活動を見るとき、ネットワークという見方を離れ,異なったメタファー、観点、アプローチを探って行く必要があるだろう。このセッション「野火的活動:今後の状況活動研究の焦点」は、以上のような問題意識から企画された。
野火的な活動を見るときの第一の課題は、個々の制度的な、あるいは、非制度的コミュニティの活動を超えて人々が、協力して、何かを作り出すとか、なんらかの仕事を成し遂げるとき、どのようにして多様なコミュニティ、人々、活動が結びついて行くかということである。
第二の課題は、野火的な活動における学習をどのように見て行くかということである。こうした場合の学習は、知識や情報が上流から下流へ、あるいは、知識や情報を持つ者が、持たない者に与えるという「垂直的」な形では表現することはできない。むしろ、学習は、コミュニティ、人々、活動の間で「水平的」、あるいは、相互的に構成される事象である。このような「水平的」学習を具体的にはどのように見て行くことができるかということが第二の課題である。
登壇者の発表は、以上の問いに答えることを試みたものである。
ワークショップの第一セッションの発表の概略
ワークショップの「野火的活動」のセッションにおいては、 エンゲストローム氏は、主に、スケートボード、バードウオッチ、赤十字などの事例を挙げながら野火的活動の特徴を整理すると同時に、そこでの学習をどのように見て行くことができるか、移動性(mobility)を中心に理論的な観点を提案した。上野は、最近のソーシャルメディアのWeb、モバイルシステムの技術開発の事例を挙げながら、様々な活動、コミュニティ、人々の繋がりを見るためには、人々の関係に焦点を当てるのではなく、人々の繋がりに伴って形成されるオブジェクトやモノ、技術の性質を詳細に見て行くことが、野火的活動を知るための手がかりを与えることを指摘した。
茂呂氏は、城間祥子氏(愛媛大学)らと行った小学校を舞台にした子どもたちの文楽の学習に焦点をあて、子どもたち、学校教員、父母、OB、地域NPO、文楽のプロ集団といった多層的な人々がどのように結びつきながらこの活動を行っているかを紹介した。茂呂氏は、多層的な人々の繋がりを見る際に、柄谷行人が「トランスクリティーク」で整理した「贈与と返礼」「略取と再分配 」「商品交換」などの交換形態を手がかりに、この活動における繋がりがどのように形成されて来たのかを探ろうとした。杉万氏は、野火的な活動が弱い場合に、どのようなことが生じるかという観点で福島原発事故の事例を分析した。
とりあえず、各登壇者の発表の概略は以上のようなものであったが、各発表の詳細については、明日以降、何回か(回数未定)に分けてまとめて行くことにする。
文献
Engeström, Y. 2009 Wildfire Activities:New Patterns of Mobility and Learning. International Journal of Mobile and Blended Learning, Vol.1, Issue 2.
Granovetter, M. 1973 The Strength of Weak Ties. American Journal of Sociology, Vol. 78, No. 6. 1360-1380. (マーク・グラノヴェター(大岡栄美訳)「弱い紐帯の強さ」野沢慎司(編・監訳)「リーディングス ネットワーク論-家族・コミュニティ・社会関係資本」勁草書房, 2006年, 123-154)
柄谷行人 2001 「トランスクリティーク ― カントとマルクス」 批評空間(岩波現代文庫で2010年に再刊)
仲正昌樹 2006 「日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか 」 NHKブックス
Tapscott, D., & Williams, A. (2007). Wikinomics: How mass collaboration changes everything. London: Atlantic Books(井口耕二 訳「ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ 」日経BP, 2007年)