2011年9月13日火曜日

状況活動研究の最前線 セッション1野火的活動:茂呂氏プレゼン資料

状況活動研究の最前線 セッション1野火的活動についての茂呂氏のプレゼン資料です。茂呂氏の許可を得て掲載しています。

2011年9月5日月曜日

野火的な活動における多様な交換形態

野火的な活動における交換形態

これは、7月27日のワークショップ:状況活動研究の最前線 セッション1野火的活動の紹介の2回目まとめである。

1回目のまとめは以下。内容は野火的活動の概要。
http://uenolab09.blogspot.com/2011/08/blog-post.html

2回目である今回のまとめは、7月27日ワークショップでの茂呂氏発表のLearning Mediated through Networking Everyday Local Activitiesについて。


 茂呂氏の発表内容は、大阪の小学校での総合学習の活動としての文楽の学習をサポートする多様な共同体(コミュニティ)の繋がりを柄谷行人の「交換形態」の枠組みを用いて分析しようとしたものだった。
 次節では、まず、こうした観点で、野火的活動を分析する意義について考えてみることにしよう。

前置きの議論

 野火的活動は、基本的には、企業的な活動や学校などの制度的な活動とは異なり、人々は給与を得て活動を行っているわけではない。それは、自主的であり、ボランティア的なものである。

こうした野火的活動に人々は、どのような動機づけで参加しているのであろうか。あるいは、こうした活動に参加することによって、人々は、金銭的報酬以外の何を得ているのだろうか。
また、野火的活動の中で、異なった背景の人々や共同体が繋がることで、相互に何を得ているのだろうか。

茂呂氏の「交換形態」についての議論や分析は、以上のような問いに答えようとしたものだ。

 自主的、ボランティア的な活動についてありがちな議論は、こうした活動が他の人々への「奉仕」として行なわれているか、あるいは、実は、奉仕という形態を取りながら自分を見つけるなどの「エゴ」で行なっているかというというものである。

 しかし、「奉仕」か「エゴ」かという二元論は、野火的活動における人々や共同体の間の多様な繋がり方、あるいは、様々な人々や共同体が野火的活動に参加する多様な「動機」を見えなくするのではないだろか。
 一方、茂呂氏の交換形態への着目は、野火的活動における人々や共同体の間の多様な繋がり方、あるいは、野火的活動に参加する多様な「動機」を可視的にする観点を提供するだろう。

柄谷行人による交換形態の議論
 
 茂呂氏の発表の紹介の前に、茂呂氏が引用している柄谷行人の交換形態の議論を見てみることにしよう。

柄谷行人は、「トランスクリティーク」と「世界史の構造」において交換形態に着目して国家を含む様々な共同体について分析している。

柄谷によれば、交換形態には4種類ある。

贈与と返礼
収奪と再配分
貨幣にる「商品交換」
x形態(未来の交換形態)

 茂呂氏によれば、これはあくまで世界史レベルの話であり、リアルな共同体にそのまま適用できるかどうかはわからないが、リアルな共同体や共同体の間の諸関係を見るためのヒントを与える。また、資本主義社会の中では、貨幣による商品交換が、交換の支配的形態だが、全ての交換は貨幣、商品によってなされるわけではない。例えば、“Can’ t buy me love”などのように。つまり、資本主義社会の中においても、他の交換形態と貨幣や商品による交換が共存している。

 茂呂氏の試みは、以上のような多様な交換形態のハイブリッドとして、野火的活動を見て行こうとしたものだ。
 
高津小学校における文楽の総合学習の事例

茂呂氏の発表は、大阪の高津小学校の文楽の総合学習における様々な共同体の間の繋がりを、 前節で述べたような様々な「交換形態」に着目して見て行ったというものだった。この高津小学校の活動の一部は、以下のサイトなどで紹介されている。

http://www.city.osaka.lg.jp/chuo/page/0000106089.html

この小学校における文楽の総合学習カリキュラムにおいては、以下のようなな多様なグループが多様な動機のもとこのプロジェクトに従事している。

a. プロの文楽の演者たち:近くの国立劇場で小学生を訓練
文楽をひろめることに従事。

b. NPO :代表はもと副校長。街の活性化をはかり、安全で清潔な街を復活させたい。

c. 近隣住民:人形の衣装を作るために古い着物を提供、繕い直し。
また、舞台作りや舞台装置の設置も手伝う。
彼らの動機は、学校をコミュニティの中心として維持すること。
 
茂呂氏によれば、文楽をめぐる活動における主な交換形態は、この実践は商品交換ではなく、「贈与と返礼」である。

例えば,様々な共同体は、この活動人物質的リソース、非物質的知識、技能、ボランティア的な仕事を贈与している。そして、返礼として、地元における一体感、所属感、アイデンティティの感覚などを受け取っている。この交換は、感情の交換、感情の交わりと言えるようなものである。

また、この活動の持続可能性にしている1つの理由は、総合学習という国のカリキュラムとして位置づけられているためである。この持続可能性は、また、部分的には、備品などの提供といった商品の交換から来ている。

このように見るなら、この活動の交換形態は、「贈与と返礼」を基礎に置いているが、商品経済以前の農業共同体の「贈与と返礼」とは異なったハイブリッドなものである。


 茂呂氏によれば、こうした活動で、地域のコミュニティが再デザインされ、また、地域ネットワークが再構築されているという。そして、この文楽の総合学習をめぐって、住民の間で、「想像の共同体」が形成されてる。「想像の共同体」とは、ベネディクト・アンダーソンが提唱した概念であり、柄谷も引用している。「想像の共同体」とは、農業共同体が失われた商品経済社会において、それを補うように作られる想像上の共同体である。
 この活動における、「想像の共同体」は、文楽を中心にして作られているということができる。例えば,子どもが文楽を演じたのを見た後、住民たちは、国立劇場に関心を持ち、何人かはここが文楽の街であることを考えるようになったと言っている。あるいは、例えば,地元の酒屋さんは、ここが文楽の街であること、息子、娘が文楽を学び、演じていることを誇りに思うと語っている。あるいは、低学年の子どもたちは、高学年の子どもが文楽を演じるのを見て、自分たちもあのようになりたいという希望を語るという。 この「想像の共同体」は、様々な部門、学校、プロの文楽士、住民などの協同的な活動を通して作られたものであり、また、この学校は、「想像の共同体」実践のアンカリング・ポイントだった。
 茂呂氏は、以上のように、ここでは、ハイブリッドな交換を通して、想像の共同体が「復元」されていると述べている。

野火的活動における交換形態と動機と人々の繋がり方

  茂呂氏による交換形態に着目した分析は,野火的な活動における人々の繋がりを見て行く際に、多くの手がかりを与えている。

 例えば,人々が野火的活動に参加する「動機」は、奉仕やエゴというものには還元できないものである。また、ここでの「動機」は、内発的なものか、社会的に認められたいという外発的なものかという二元論によっても還元できない。
 例えば、この活動においては、舞台の設置などの労働を贈与することで、返礼として地域への所属間、一体感といったものを受け取っている。このように、ここでの参加への動機は、こうした交換によって形成されている社会的なものである。

オブジェクト中心の社会性(object centered sociality)

 この文楽をめぐる活動で、人々のコアになっているオブジェクトは、文楽である。あくまで、子どもたちは文楽の演技を学習するために、その他の多くの人々は文楽の公演の支援を行うために集まっているのである。このようなことを見ると、文楽をめぐる活動においては、まず、文楽というオブジェクトの周りに人々が集まり、文楽を媒介として人々が繋がっていることは明らかである。つまり、この活動では、文楽という地域で共有しうるオブジェクトをめぐって、様々な人々、共同体の間の多様な形での有形、無形の交換がなされているのである。
 7月27日のシンポジウムでは、「オブジェクト中心の社会性」の議論は、現代のweb技術者を対象として上野が議論したが、同様の議論は、茂呂氏による文楽をめぐる活動についても可能であろう。

 野火的な活動における交換形態に着目すること、あるいは、「オブジェクト中心の社会性」に着目することは、野火的な活動に、人々がどのように、なにをもって参加し、相互に繋がっているかを明らかにするための手がかりを与えるであろう。
少なくとも、こうしたことに着目することで、人々の繋がりをネットワークとして、あるいは、弱い紐帯として表現するだけでは見えなかった多くのことが明らかになるように思わる。

 今回はこれくらいにしておいて、次回は、「オブジェクト中心の社会性」に着目して 、近年のIT技術者の野火的活動がどのように形成されて来たのかといったことを見ることにしよう。

2011年8月3日水曜日

ワークショップ:状況活動研究の最前線 セッション1野火的活動

 2011年7月27日(水)、28日(木)に
大正大学 巣鴨キャンパス
において、ウーリア・エンゲストローム(Yrjö Engeström)氏らを招いて『ワークショップ:状況活動研究の最前線』が行なわれた。ISCAR-ASIA & DEE共同企画ワークショップ、
後援:日本教育心理学会。

 私は、7月27日のみ参加した。

 私自身が発表した7月27日のセッション1のプログラムは以下のようなものだった。

セッション1 野火的活動:今後の状況活動研究の焦点
企画:ISCAR Asia

登壇者:上野直樹(東京都市大学)
ウーリア・エンゲストローム(ヘルシンキ大学)
茂呂雄二(筑波大学)
杉万俊夫(京都大学)

 ここでは、とりあえず、27日のセッション1で発表、議論されたことの概要を、今後、何回かに分けて紹介する。今回は、まず、「野火的活動」ということの意味や由来、背景、および、各登壇者の発表内容の簡単な概略のみをまとめてみた。

野火的な活動とその背景

 現代は、エンゲストローム氏によれば、野火的な活動(wildfire activities)が拡大している時代である。野火的な活動とは、分散的でローカルな活動やコミュニティが、野火のように、同時に至る所に形成され、ひろがり、相互につながって行くといった現象をさしている。こうした活動のつながりは、ポストモダンの概念を使うなら、竹の地下茎のように、あるいは、樹木の根と菌類の共生形態のように複雑に、かつ、多様に絡み合ったリゾーム的な形状を取っている。リゾームという概念の出所であるポストモダン思想は、すっかりトレンドではなくなったが、時代状況はますますポストモダン化している。(仲正, 2006)
 
 こうした野火的な活動の中で、人々は特定のコミュニティの中に生き、活動を行うだけではなく、様々な場所、コミュニティの間を移動しながら、新たな活動を生み出している。
 野火的な活動は、WikipediaやLinuxといった例に見られるように、制度的な組織や地域コミュニティを超えて多くの人々が協調して何かを生み出すピアプロダクション(peer production, Tapscott & Williams, 2007)という形で行われている。しかし、野火的な活動は、インターネットに限定されるものではなく、例えば、赤十字、スケートボーディング ( Engeström, 2009)や地域における街づくりのための市民活動、震災時の市民による連携活動といったものの中にも見いだすことができる。
 こうした活動は、行政組織、企業、学校といった制度的な組織や個々のコミュニティの枠を超えてひろがり、また、商品経済の枠組みでは収まりきらない労働や知識の交換形態を持っている。
 現代社会における野火的な活動の拡がりは、改めて、学習、人工物、資源の布置、アーキテクチャといったものの捉え直しを迫っている。また、活動論や状況論にとって、野火的な活動を支える様々なアレンジメントをどう行うべきかということが新たな課題として浮かび上がって来ている。

野火的な活動をどのように見て行くべきか

 個々の制度的組織やコミュニティを超えた活動を考えるとき、これまでよく使われて来たのは、人々の関係や繋がりに着目し、社会的ネットワークとして見て行くというものであった。社会的ネットワークという見方の最も素朴な形態は、人々の繋がりをネットワーク図で表現するというものである。例えば,SNSであるMixiにおける人々の繋がりをネットワーク図で表現したmixigraphはその一つの典型例である。あるいは、グラノヴェター(Granovetter, 1973)の「弱い紐帯の強さ」という論文では、人々は、新しい仕事や知識を、家族や親友といった日常的に密接な繋がり(強い紐帯)よりも、大学時代の古い友人、かっての同僚や雇い主などの緩やかな繋がり(弱い紐帯)で得ることが指摘されている。

 野火的な活動も、また、以上の例と同じように、社会的ネットワークとしてある程度は図式化でき、また、「弱い紐帯の強さ」として整理することも可能であろう。しかし、社会的ネットワークという見方は、野火的な活動に関して、これ以上、考察を進めるために手がかりを与えない。

 例えば、mixigraphのようなネットワーク図を見ても、誰と誰が繋がっているかを知ることはできるが、それ以上の情報は得られない。また、個々のコミュニティを超えた「弱い紐帯」という場合、どのように、どのような条件かで弱い紐帯が形成されるのか、古い友人、同僚といったこと以上の手がかりを得ることはできない。

 このようにして、野火的な活動を見るとき、ネットワークという見方を離れ,異なったメタファー、観点、アプローチを探って行く必要があるだろう。このセッション「野火的活動:今後の状況活動研究の焦点」は、以上のような問題意識から企画された。


 野火的な活動を見るときの第一の課題は、個々の制度的な、あるいは、非制度的コミュニティの活動を超えて人々が、協力して、何かを作り出すとか、なんらかの仕事を成し遂げるとき、どのようにして多様なコミュニティ、人々、活動が結びついて行くかということである。
 第二の課題は、野火的な活動における学習をどのように見て行くかということである。こうした場合の学習は、知識や情報が上流から下流へ、あるいは、知識や情報を持つ者が、持たない者に与えるという「垂直的」な形では表現することはできない。むしろ、学習は、コミュニティ、人々、活動の間で「水平的」、あるいは、相互的に構成される事象である。このような「水平的」学習を具体的にはどのように見て行くことができるかということが第二の課題である。

 登壇者の発表は、以上の問いに答えることを試みたものである。

ワークショップの第一セッションの発表の概略

 ワークショップの「野火的活動」のセッションにおいては、 エンゲストローム氏は、主に、スケートボード、バードウオッチ、赤十字などの事例を挙げながら野火的活動の特徴を整理すると同時に、そこでの学習をどのように見て行くことができるか、移動性(mobility)を中心に理論的な観点を提案した。上野は、最近のソーシャルメディアのWeb、モバイルシステムの技術開発の事例を挙げながら、様々な活動、コミュニティ、人々の繋がりを見るためには、人々の関係に焦点を当てるのではなく、人々の繋がりに伴って形成されるオブジェクトやモノ、技術の性質を詳細に見て行くことが、野火的活動を知るための手がかりを与えることを指摘した。

 茂呂氏は、城間祥子氏(愛媛大学)らと行った小学校を舞台にした子どもたちの文楽の学習に焦点をあて、子どもたち、学校教員、父母、OB、地域NPO、文楽のプロ集団といった多層的な人々がどのように結びつきながらこの活動を行っているかを紹介した。茂呂氏は、多層的な人々の繋がりを見る際に、柄谷行人が「トランスクリティーク」で整理した「贈与と返礼」「略取と再分配 」「商品交換」などの交換形態を手がかりに、この活動における繋がりがどのように形成されて来たのかを探ろうとした。杉万氏は、野火的な活動が弱い場合に、どのようなことが生じるかという観点で福島原発事故の事例を分析した。

 とりあえず、各登壇者の発表の概略は以上のようなものであったが、各発表の詳細については、明日以降、何回か(回数未定)に分けてまとめて行くことにする。

文献

Engeström, Y. 2009 Wildfire Activities:New Patterns of Mobility and Learning. International Journal of Mobile and Blended Learning, Vol.1, Issue 2.

Granovetter, M. 1973 The Strength of Weak Ties. American Journal of Sociology, Vol. 78, No. 6. 1360-1380. (マーク・グラノヴェター(大岡栄美訳)「弱い紐帯の強さ」野沢慎司(編・監訳)「リーディングス ネットワーク論-家族・コミュニティ・社会関係資本」勁草書房, 2006年, 123-154)

柄谷行人 2001 「トランスクリティーク ― カントとマルクス」 批評空間(岩波現代文庫で2010年に再刊)

仲正昌樹 2006 「日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか 」 NHKブックス

Tapscott, D., & Williams, A. (2007). Wikinomics: How mass collaboration changes everything. London: Atlantic Books(井口耕二 訳「ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ 」日経BP, 2007年)